④ウシュマルからメリダに戻り、そこからチチェンイツアまで行って一泊

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ウシュマルからメリダに戻り、そこからチチェンイツアまで行って一泊しました。

チチェンイツアは、ユカタン半島北部にあるマヤ文明の遺跡で、後古典期マヤ(900~1100年頃)の最大の遺跡です。チチェン・イツアとはマヤ語でチチェン=泉のほとり、イツア=魔術師を意味し、マヤの「生贄文化」を象徴する遺跡です。

カラコルの上部にある丸いドームは、マヤの天文観測台だったと推測されています。カラコルには3つの窓が残っており、それぞれ天文観測に必要な場所に正確に窓が作られていたため、マヤ人たちは、月・太陽・金星の動きを観測し、当時から正確な暦を作り上げていたことを裏付ける遺跡のひとつです。
カスティーヨと呼ばれるピラミッドは、マヤの最高神ククルカン(ケツァルコアトルのマヤ語名)を祀るピラミッドで、基底55.3メートル四方、高さ24メートルあり、4面に各91段の急な階段があり、最上段を合計するとちょうど、365と一年の日数になります。今は登れませんが、当時は登れました。

今は入れませんが、一番下の蛇の頭の横に、古い昔のピラミッドへの入り口があり、当時その階段を登ると、最上階にジャガーの神が祀ってありました。この様子は、最近「有吉の世界同時中継」でも紹介されました。

一年に2回(春分の日と秋分の日)に、階段ピラミッドの影が階段の横に現れ、地上にある蛇の頭につながり、それを見に、世界中から観光客が集まります。当時の暦の正確さが伺えます。

チチェンイツアに残されている球戯場では、人の身長よりもはるかに高い場所に石の輪があり、そこにゴムボールをくぐらせ勝敗を決めるゲームがあり、勝者のチームのキャプテンが首をはねられたレリーフが残っています。

敗者ではなく、勝者というところが名誉ある生贄だったのでしょうか。 チチェンイツアの戦士の神殿の上には、チャック・モールと呼ばれる生贄の儀式で使われ、犠牲者から取り出した心臓を載せた台があります。なぜマヤはこんなに残酷だったのでしょうか。当時、太陽のエネルギーの元が、人間に血と心臓だと信じられていて、太陽がいつまでも輝くように生け贄が捧げられたようです。恐ろしき誤解ですね。